旅に出てしばらく、ワツラフが熱を出した。男の子だとしても、まだ私よりも大分幼いから、環境の変化の数々に体が追いつかなかったんだろう。私は宿屋の自炊用キッチンを借りてぼんやりとそんな事を思っていた。風邪にはお粥が丁度良いと言うし、私はお米を甘く煮詰めながらワツラフの部屋の扉へと視線を送る。きっと今はフェターお兄ちゃんが付き添っているだろう。身内の特権だとしても、少しだけそれがうらやましく感じた。ことことと音を立て始めた小さな鍋が食べごろだと知らせてくれる。私はそれをトレイに乗せて両手で優しく持ち上げると、ワツラフの眠っている部屋を目指し歩き出す。ドアの前まで来て、妙に不思議な緊張が込み上げてくる。そこで気づく。両手が塞がっていてノックができない事に。私はあー、だのうー、だの呻いた後、入ってもいいかと小さく扉に尋ねてみた。フェターお兄ちゃんがこの声を聞き取ってくれればドアを開けてくれるはずだ。おずおずともう一度あけて、と言えば、かちゃりと扉が開く音。目の前には私よりも随分身長が高い、私とよく似た金髪の男の人。フェターお兄ちゃんは私だと確認すると入ってくれと扉を更に開けて私を招いた。部屋には質素なベッドで眠る私の愛しい王子様。


「あのね、お粥、もってきたの。ワツラフが食欲あるかはわからないんだけど…」
「ああ、ありがとう。」


 フェターお兄ちゃんはワツラフをちらりと見た後、時計を見て俺はミュールから薬をもらってくるからワツラフを見ていてくれ、と告げて部屋から出て行ってしまった。私はベッドへと歩み寄り、ベッドの脇にあるサイドテーブルに粥鍋をなるだけ音を立てないように置く。またワツラフを眺めれば、荒い息を繰り返していて、見ているこっちが辛い。私は眉をひそめながらワツラフにゆっくりと話しかけてみた。


「ワツラフ、お粥もってきたんだ。食べれそう?食べれそうなら、冷めないうちが良いと思って。」
「……」


 問いかけてみれば、ワツラフは苦しそうに首を横に振る。その首を振ったせいで、額に乗せていた濡れタオルがぽたりと枕元に落ちた。それを私が拾い再度額に乗せて、ワツラフの銀色の髪をそっと撫ぜれば、ワツラフはゆっくりと瞳を開いてベッドの中から手を出して、小さく、けれどはっきりと私にこう告げた。


「………手、…握って…」
「あ、う、うん」


 熱が出たせいで不安に襲われているのだろうか。それは小さなころ、私も同じ感覚に襲われたことがあるからよく解った。熱や風邪を引いたときは、無性に心細くなって、隣に人が居て欲しくなる。人という存在が無性に恋しくなる。私はその差し出された手をしっかりと、優しく握る。私とは違う、男の子の手。空いたもう片方の手でワツラフの額に汗ではりついた髪を払う。


「大丈夫。傍にいるよ。安心してね、ワツラフ」
「あ、りがと……お母さん…」
「…うん」


 きっと、今ワツラフの目に映っているのはレスティルという姿じゃなくて、大好きなラフィママが映っているのだろう。けれど、それでも構わなかった。具合が悪くて、一番初めに求めるのは、母の愛なのだから。私はワツラフがすやすやと寝息を立て始めるまで隣に居た。部屋を出るときに、次にワツラフが熱に伏せたら、今度、その瞳に映るのが私であってほしいと、願った。
(寂しいから、嫌だ)