正直、気紛れと言っても良い。チャバは夕食の買い物と、その献立を考える為の散歩、と言った単純な理由でウェルテスを歩いていのだ。丁度遠回りをしようとしたチャバの考案が、彼女との出会いに繋がるとはこの時は思いもしなかった。墓地への階段への前、チャバはそこを素通りし、道を歩こうと思ったのだけれど、子供のつんざくような泣き声が彼の足を止めた。階段の上から。親にがなりたてられて泣きわめいているのだろうか、そんな考えも頭を過ぎったが、何故か足は独りでに階段を駆け上がっていた。子供の泣き声は階段を駆け上がる程に強く、悲痛なものだと感じさせる。階段を上り終えて一息つくと、そこには頭から血を流して泣き喚いている子供一人と、それをどうしていいか解らずに見守る子供が、一人。チャバはみるみるうちに冷たくなっていく自分の手と、その反対に熱くカッカと熱を持ち始める自分の頭で苦悩した。すると見守っていた子供がチャバへと駆け寄り、こう言い放った。


「木登りをしてたらこの子…落ちちゃったんだよ!それで、頭か、ら、血が、出て、」


 しゃくりあげながら簡潔に説明する子供を宥め、泣き喚く子供へと駆け寄り、様子を見る、頭からはそんなに多量の血は出ていないが、打ち所が悪ければ後が酷い。チャバは子供を抱え上げると階段を下りようと踵を返した時、階段下からこんどは少女の声が聞こえてきた。医者でも呼んでくれたのだろうか。


お姉ちゃん!こっち!早く!」


 少女が階段の踊りを駆け上り終えるとそれに続き白いローブを被った女が現れた。(顔はローブを深く被っていて解らないけど、体格からして女の子、かな、)女は息を弾ませながらチャバへと近づき、抱え上げていた子供の様子を見た。白い袖口からは、それに混じり消されるような白い腕が伸びる。そして深く被ったローブからは凛とした声が響いた。


「頭を打っちゃったのね。すみませんがお兄さん、私の家までこの子を運ぶのを手伝ってください」
「う、うん」


 ローブを翻して足早にあるく女。そのローブをふわりと翻した際にちらりと伺えたのは、栗色の前髪とそれに比例するかのような翡翠色の瞳だということだった。ぼんやりとした頭でチャバは彼女の後ろを付いて行く。抱えていた子供はいつの間にか泣きつかれたのかすっかり大人しくなってしまっていて、けれどしゃくりあげる声のみが、チャバの鼓膜へと焼きついていた。


「ここです。どうぞ中に入ってください」


 連れてこられたのは小さな家。彼女がゆっくりとドアノブを捻るとギィ、と木造住宅としては聞きなれた木の音。部屋の中に入ると、こじんまりとしていて必要最低限のものしかない診療所といった所だった。(というより、本や何かの壺や瓶が並べてあるだけで、住む為に必要なものがそろっていない気がするよなあ)彼女はチャバから少年を奪い取ると、診療ベッドのようなものに寝かせ、杖やら包帯やらを持ってきて、治療を始める。チャバがきょろきょろとせわしなく視線を動かして部屋の中を観察していると、また、耳に心地いい凛とした声が響いた。


「お兄さん、そこのソファに座ってていいですよ。すぐに終わりますからね」
「あ、うん。気にしないで、オイラ付き添いっていうか、あんまり関係ないから」


 ふふ、と笑う声が聞こえる。けれど強制されている訳じゃなく、ただ勧められているだけ、というのも案外後ろ髪引かれるものでチャバは素直に白いソファへと腰を沈めて待っていた。5分もすれば治療は終わったのか、頭を打ったらしい少年はベッドに座り頭に巻きつけられた包帯をさわさわと触っていた。すると彼女は触っちゃ駄目よとさとすとずらりと並んだ棚へと足を勧める。チャバはそれを眺めながら、しっかりと歩く人だなと思った。背筋をぴんと伸ばして、身体を揺らさずに地をしっかり踏みしめて歩いているあたり、何となく彼女の性格が出ている気がする。女は何かぶつぶつと呟いて壺や瓶に張られているレッテルを確認し、その中から一つを取り出し、中にあった乾燥させた粉らしいものを小さな袋へと移し、少年へと渡した。彼女が少年へと告げる言葉の中に、痛み止めと言っていた筈なので、彼女は薬師か法術師なのだろう。


「ちゃんと今日の事はお母さんに言うのよ。いいわね」


 また、彼女の袖口から白い腕が覗き、少年の髪を撫ぜた。少年はくすぐったそうに身をよじり、彼女へ礼を告げる。するとその少年はチャバへも視線をやり、彼に対しても一言ありがとう、と述べ走り去っていった。取り残された男と女。女は小さくなる少年の背を見守り、男もまた、走馬灯のように走り去ってゆくそれをぼんやりと眺めていた。


いとしい手のひら


(それが、チャバとの最初の出会い)